「莫妄想」

「莫妄想」

10月11日(水)

 当社の第一応接室には莫妄想(ばくもうぞう)という大きな書がかけられています。この書は先々代、父、松原忠康が友人より送られ会社の第一応接という最も大切な場所に置いたものです。

 莫とは「なかれ」のことで、禁止の意味を表わします。「妄想」とは、一般的には実体のない虚妄の想念のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが、禅ではもう少し深く考えます。
 私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、二つの相対する概念を作り出し、その一方に執して苦しみ、迷うのですが、この二つに分けて見る相対的な分別心そのものが、すでに妄想というのです。故に莫妄想とは、生死、善悪、是非になり切ってやって行け! というわけです。“莫れ”という消極的な言葉に反して、より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊をあげて一心不乱にやり貫けというのです。(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊より)

 最近よく使う「今だけ・金だけ・自分だけ」ですが、本当に目先のことを考えた行動が多すぎます。また、一方で起きてもいない失敗を過剰に想いこみ、そうなったらどうしようかと打つべき手を打たないこともこの莫妄想の精神に反するのだと思います。動機が善であるのであれば必ず神仏が見方をしてくれます。その上で、もしも大きな問題が起きてしまったのであれば、そこは謙虚に受け止め、その課題にそれこそ「莫妄想」の精神で向かっていくことが大切だと思います。起きてもいない未来を不安視することなかれ、また目先のことに一喜一憂するのでなく未来を見てなすべきことをなす。この精神で進んでいくことが大切です。そして、予測される「災」には、そうならないための最大の努力をしていくことも大切です。

 さて、再びイスラエル、パレスチナの戦争が勃発しました。そしてレバノンもイスラエルに攻撃を仕掛けたので、レバノンまでを巻き込んだ戦争が再び始まったと言えるでしょう。本当に寂しいことです。まさに「莫妄想」が出来ていないことの典型的なことです。国民は絶対にこのような事態を望んでいません。2006年、国際青年会議所の入会審査委員をしていました。アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ、各地域から一人ずつが委員となり、この入会審査委員会が構成され、国際青年会議所の常任副会頭一人が委員長となり5名で構成されました。そのアジアの代表として出席し、ソウルの世界会議でレバノン青年会議所の入会を全員一致で合意し、その年行われたソウルの世界会議の総会に推薦し承認されました。その折、レバノン青年会議所代表が、「訪れた平和を本当に嬉しく思います。世界中の青年会議所の仲間たちと世界平和の実現に向けたJCI活動が共にできることを誇りに思い、二度と不幸な戦争には戻らない、そのための活動をレバノン国内で取り組んでいく。」このように決意表明した、レバノン青年会議所会頭は大粒の涙をこぼしていました。一部の国家指導者たちの行動に、時のメンバーたちもなすすべもなかったのだろうとは思います。しかし、本当に寂しい話です。「莫妄想」禅の世界の言葉です。今こそ、日本に根付いた佛教の精神を世界に向けて発信するべき時だと思います。

社長 松原 史尚

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